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教員志望者必見!「先生に必要な条件」4選

資源がない日本・災害が多い日本において、教育は最強のインフラです。

しかし、教員の待遇は改善されないまま仕事や負担は増える一方で、教員志望者は減る一方…

それでも教員を目指そうというみなさんは、本当に日本の宝です!

新規採用の先生を見て、最近しみじみと思うことは、

みんな優秀!

倍率が下がったとは言え、レベルが高いライバルの中から勝ち抜いて来た人達だからでしょう。

今回は、そんな難しい採用試験に挑もうとする皆さんを独断と偏見で応援する記事です。

この記事でわかること

・採用試験を受ける人向け情報

・「現場感覚を持っている」というアピールになる内容

目次

①教育関係の知識を大学できちんと学んでいる

現場の先生は、ギリギリの人数でそれぞれがたくさんの仕事を抱えていて、とにかく忙しいです。

指導担当の教諭が初任者の相談に乗ってくれますが、授業力はほとんど自主トレでつけていきます。

だから、教育実習で数回授業をしただけの人でも、着任後すぐに何クラスかの教科担任になり、試行錯誤しながら授業をする日々がいきなり始まります。

それなのに、生徒にとって先生は先生で、新任の先生の授業がその生徒の人生を変える可能性だってあるのです。

教育理論を直接授業で使うことはありませんが、教育のベースになるものですので、当然頭に入れておくべきです。

しかし、分掌の仕事や研修、部活も容赦なく入ってきますから、教育理論を学ぶ時間が現場に出てからはありません。

だから、大学時代に学習指導要領、教材研究法、授業手法、ICTの取り入れ方、教育心理などの知識をたくさん学んでいたら、大きな財産になります。

理論を使いこなすのは、現場で修行しなからできるようになれば十分です。

人によっては、ベテランの先生の知識の方が古かったりあやふやだったりします。だから、若手が大学で学んだ新しい知識を教えてくれたら、ベテランの先生にありがたがられることもあると思いますよ。

②人との距離感が適切

若手の教員は、生徒と年が近いので、生徒から親しみを持たれやすいという特権を持っています。

親近感があると、生徒との信頼関係(ラポール)が築きやすい。

ここで重要になってくるのは、「親しみ」と「馴れ合い」は違うということを理解しておくことです。

教員は、自分で思っている以上に生徒たちに大きな影響力を持ちます。

生徒は、そんな先生が自分と親しくしてくれると嬉しくなって、どんどん友達のように接してきます。

教員の影響力を自覚せずに、友達のような距離感で生徒と接してしまうと、様々な問題が発生する可能性があります。

教員側が気を許しすぎて馴れ合いになり、SNSで連絡を取り合ったり、自分の車に乗せたり、2人きりで会ったりと、個人的な付き合いに発展しまうと、それは完全にアウトです。

生徒と親しくするのは悪いことではありません。ただ、教員という立場を忘れてしまうような距離の取り方は絶対にしてはいけない。

令和3年に「教育職員等による児童生徒性暴力等の防止等に関する法律」が成立しました。

どんな社会でも、100%素晴らしい人ばかりではないように、残念ながら教員の世界にも、ほんのわずかだけれども、罰せられるべき人間がいるのは否定できません。

しかし、児童生徒に危害を与えるなど、法律で決められなくても、教員としての自覚がある人間なら絶対にしません。

この法律が成立した時、教員は取り締まらないといけない集団だと言われているような気がして、とても残念で悲しかったです。

自分の立場を常に自覚し、人との適切な距離感を持つことは、教員として絶対に必要なことです。

③「べき思考」を持たない

集団教育を前提とする学校は、前時代的な存在です。

高度経済成長を支える労働者になるべく、生徒たちが、規律正しく同じことを同じレベルで学ぶことが求められていた時代のままの制度です。

40人くらいを効率よく教育するには、同じ行動をしないと活動が成り立たないからルールが作られ、「〜するべき」という考えが生まれます。

個人的な考えですが、「学校では、須く真摯に勉学に励むべきで、お洒落などするべきではない」という古い考えから、服装や髪型を規定している校則があるのではないかと思っています。

しかし、現代は個の尊重と同時に自己責任の時代です。

内田樹氏が『下流志向』の中で、「教育は価値がわからないまま我慢するという対価を支払うものだ」ということを書いています。

確かに、お菓子は「食べたら美味しい」という価値がわかってお金という対価を支払っていますが、教育に関しては、将来の価値がわからず、現在価値を認めていないにも関わらず、我慢して勉強するという対価を支払っています。

教育の価値を理解しない生徒たちが自らの意志で「下流」に行っても、それは自分で決定したことだから、個人の権利であり、自己責任です。

教員は個を尊重しなければなりませんから、その生徒に無理やり教育を提供するわけにはいきません。その生徒が捨てようとしている輝かしい将来が教員に見えていたとしても。

2007年に出版された「下流志向」を読んだとき、教育とは何のためにあるのだろうと考えずにはいられませんでした。

とはいえ、「下流」を目指す生徒もいれば、「上流」を目指す生徒もいて、生徒の志向は千差万別です。

今の教員に求められるのは、個人の選択や権利の邪魔をしない、一方で、支援を求められたら惜しみなく提供をするというホスピタリティです。

従って、今の教員は、「べき思考」を持つとうまくいきません。

個人を見つめ、個々の事例を見つめて受け入れることが大切です。

④めげない

「教育なんて誰でもできる、実際、家では子供を育て、会社では部下を教えている。教員なんて楽な仕事だ」と言われることがあります。

家庭教育や社員教育と、学校教育との絶対的な違いは、教員が相手にするのは、発達途中の生徒の集団であるということです。

家庭のように子供に対する最終責任を持つわけでもなく、会社のように経験や自己決定力がある大人を相手にしているわけでもありません。

学びに興味を持たない、心身ともに成長途中の生徒の集団を、年間を通して指導し、進路を切り開く力をつけさせるということは、なかなかの努力が必要です。

どんなに教材研究をして授業に臨んでも、生徒は全く興味を示さなかった…

心を込めて思いやりを持って面談したけれど、自分の思いが伝わらなかった…

学習の重要性を生徒に説いても、全然伝わらない…

と、うまくいかなくて落ち込むことが教員にはたくさんあります。

しかし、毎日毎日学校は容赦ないスピードで動いていきます。1人の生徒のことで落ち込んでいる間に、他の生徒の対応が迫られることがあります。

何かあるたびめげているような時間は、教員にはありません。

だから、うまくいかないことがあった時、「自分のせい」・「いつも」・「ずっと」・「みんな」と考えるのはやめましょう。

うまくいかなくても、

100%「自分のせい」ではないはずです。

その状態は「いつも」ではないはずです。

さらに、「ずっと」続くものではないはずです。

「みんな」があなたを批判しているはずはありません。

元大リーガーの松井秀喜さんは、スランプだった時、マスコミから叩かれたことがありました。

しかし、彼は、「自分でコントロールできないことは気にしない」と割り切り、自分ができる努力だけに集中し、見事スランプを抜け出したことがあります。

教員にとって、生徒はコントロールできる対象でありません。

うまくいかなかった時は、生徒を変えようとするのではなく、めげずに気持ちを切り替え、自分ができる努力を継続する。

教員には 、そんなメンタルの調整力が必要です。

まとめ

こうやって見てみると、教員でなくとも、人を相手にする仕事では、ここに挙げたものは皆必要な資質かもしれません。

やりがいや楽しさばかりではないということを知った上で教員を目指そうとする人は、きっと良い先生になると思いますよ。