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現代文に必要な力
学習指導要領という、全国の学校の先生が拠り所にする文部科学省の指針があります。学習指導要領では、国語の目標を次のように書いています。
言葉による見方・考え方を働かせ,言語活動を通して,国語で的確に理解し効果的に表現する資質・能力を次のとおり育成することを目指す。
高等学校学習指導要領(平成30年告示)「現代の国語」他「1 目標」より抜粋
学習指導要領自体が研究される対象なので、平たく言い換えることはなかなか難しいですが、誤解を恐れずにこの目標を言い換えると、

国語では、言葉の意味や使い方をきちんと意識して、文章を間違いがないように理解し、伝えたいことを思った通りに伝えることができる力を養う
ということです。
さまざまなテストでは、この目標を達成しているかどうかを問題という形で測定します。
現代文のテストで問われている力

では、国語のテストでこの目標を達成しているかどうかをどう測定するのでしょうか。
漢字や接続詞補充は知識問題の側面がありますが、選択肢問題と記述問題は「本文の中から指定されたことを探し出す」力を使います。
本文に書かれているものを探し出すという点で他の教科と大きく異なります。
現代文の勉強の仕方がわからないという人は、「本文の中から指定されたことを探し出す」という感覚を絶対に忘れないようにしておきましょう。
しかし、現代文の本文は長く、ダラダラと読んでいても、指定されたことを探し出すことはできません。

本文の中から指定されたことを探し出すには、テクニックが要ります。
そのテクニックについて説明する前に、「本文から探し出しなさい」と言われるのが多いことについて、次に説明しておきます。
問題で問われることは
問題で問われること(=本文から探し出すもの)は、大体決まっています。
「説明」と「理由」
例えば、「『動的平衡』とはどういうことか。」という問題があるとします。
これは、「『動的平衡』の説明が書かれている部分を探し出し、まとめなさい」という問題です。
また、例えば、「日本にある噴水がなんとなく間が抜けて見えるのはなぜか。」という問題があるとします。
これは、「日本の噴水が間が抜けて見える理由が書かれている部分を探し出し、まとめなさい」という問題です。

このように、評論文では、「どういうことか=説明」、「なぜか=理由」を問われることがほとんどです。
「心情」と「理由」
例えば、「『私はちょうど他流試合でもする人のようにKを注意して見ていたのです』とあるが、この時の『私』の心情を説明せよ」という問題があるとします。
これは、「私」のセリフや行動を抜き出し、そこから読み取れる心情を話の流れと照らし合わせて説明せよという問題です。
また、例えば、「『叢の中か人間の声で「危ないところだった。」と繰り返し呟くのが聞こえた』とあるが、なぜ李徴は『危ないところだった』と繰り返し呟いたのか。」という問題があるとします。
これは、李徴が「危ないところだった」と繰り返し呟いた理由を抜き出し、話の流れと照らし合わせて特定せよという問題です。

このように、小説では、「心情」と「理由」が問われることがほとんどです。
評論文を読み解くテクニックとは

評論文は、ものすごく単純化すると、「前提」→「主張」→「理由」→「具体例」が繰り返されて全体の文章ができています。
ちなみに、小説では、「出来事」→「理由」→「心情」が繰り返されて全体の物語ができています。
評論文のテクニックとは、「、」の前の接続助詞などに注目し、文全体におけるその部分の役割(主張・理由・前提)を考えながら文脈に沿って読む!ということです
実際にテクニックを使ってみよう
芥川龍之介の文章です。随想ですが、評論文と同じ読み方ができます。
ではその人間とはどんなものだと云うと、一口に説明する事は困難だが、苦労人と云う語の持っている一切の俗気を洗ってしまえば、正に菊池は立派な苦労人である。その証拠には自分の如く平生好んで悪辣な弁舌を弄する人間でも、菊池と或問題を論じ合うと、その議論に勝った時でさえ、どうもこっちの云い分に空疎な所があるような気がして、一向勝ち映えのある心もちになれない。ましてこっちが負けた時は、ものゝ分った伯父さんに重々御尤な意見をされたような甚憫然な心もちになる。
芥川龍之介
「兄貴のような心持――菊池寛氏の印象――」
青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)
※語注 俗気…名誉などにとらわれる、俗っぽい気持ち/自分の如く…自分のように/平生…普段/悪辣…たちが悪いこと、ひどいこと/弁舌を弄する…言葉を操る、話し方をする/空疎…空虚、内容がないこと/御尤…「もっともな、そのとおりである」の丁寧な言い方/甚…とても/憫然な…可哀そうな、哀れな

上記の文章を一文ずつ抜き出し、読点で分けてみましょう。
その後、筆者の主張とその理由を探します。

「前提」の本来の意味は、「あるものが成り立つための条件」のことですが、今回は、「主張・理由・具体例以外」の内容を「前提」としています。
ではその人間とはどんなものだと云うと、☜「今から人間性を説明する」という前提
一口に説明する事は困難だが、☜「一言では説明できないけれど」という前提
苦労人と云う語の持っている一切の俗気を洗ってしまえば、☜「『苦労人』という言葉の先入観を除いたら」という前提
正に菊池は立派な苦労人である。☜作者の主張
その証拠には自分の如く平生好んで悪辣な弁舌を弄する人間でも、☜「自分のような人間でも」という前提
菊池と或問題を論じ合うと、その議論に勝った時でさえ、☜「議論に勝った時でも」という前提
どうもこっちの云い分に空疎な所があるような気がして、☜作者の主張の理由
一向勝ち映えのある心もちになれない。☜作者の主張
ましてこっちが負けた時は、☜「自分が負けた時は」という前提
ものゝ分った伯父さんに重々御尤な意見をされたような甚憫然な心もちになる。☜作者の主張
菊池は立派な苦労人だ。なぜなら、こっちが菊池との議論に勝った時さえ、自分の意見が空疎な気がして全く勝った気がしないし、負けた時は、とても哀れな気分になるからだ。

評論文テクニックをまとめると
次の通りです。
・読点で切り、接続助詞に注目しながら、その部分の役割を考える。
・「主張」と「理由」に着目し、文脈に沿って理解する。
おまけ:超お得な勉強法

早く走っている人を見ただけで早く走れる人はいません。正しい手足の使い方、姿勢、ペース配分などをコーチから教えてもらった後、自分で練習を繰り返し、望ましい走り方を体得して初めて早く走れるようになるはずです。見るよりも「自分でやってみる」ことが大切なのです。
現代文も一緒。デタラメにバットを振っても打率は上がらないように、ただたくさんの文章や問題に取り組んでも、読解力は身につきません。
文章を読むたびに現代文のテクニックを使うことを心がけましょう。

他の教科の教科書を現代文のテクニックを使って読むと、両方の学習ができて一石二鳥です。